学歴的エクスタシーオーバードーズ

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私は小学校時代、仲間外れを超えて殴る蹴る等の暴行を日常的に受けていた。家庭もまた安息の地ではなく、両親の不和や母親からの暴力に晒されていたため、学校にも家庭にも居場所がなかった。幼き頃の私は嫌がらせを受ければやり返す性格だった。しかし、子供の世界において正しさは力の前では無力である。やり返すほど相手は面白がり、煉瓦の花壇に頭を叩きつけられたり、コンクリートの壁に頭を打ちつけられたりした。

私の通っていた小学校からはA中学とB中学へ生徒が半々に進学したが、私はA中学へ進学した。しかし状況は何一つ改善しなかった。人間関係は上手くいかず、仮病を理由に学校を休むことが増えた。その様子を面白がった同級生たちは、休日に外を歩いている私を六人で自転車に乗って三十分ほど追い回した。また、久しぶりに教室へ入ると「レアキャラが来た」と叫ばれ、その異様な空気に耐えられなくなった私は教室を飛び出した。これらの出来事は強いトラウマとなり、私はA中学へ通えなくなった。

半年ほど引きこもった後、親の勧めでフリースクールへ通うことになった。しかしそこもまた私の居場所にはならなかった。スマートフォンの持ち込みが許可されていたため使用していたところ、他の生徒に勝手にスマートフォンを見られ、当時利用していたSNSのアカウントを発見されて周囲に言いふらされた。私は恥ずかしくて止めるよう頼んだが、「複垢をたくさん使ってコメント欄に本名を書く」と脅された。フリースクール側に相談しても、「新入りだからそっちが辞めたら」と言われ、私は退所した。

その後三ヶ月ほど引きこもったが、当時知り合ったネット上の友人に勉強を教わったことが転機となった。私はもう一度人生をやり直そうと決意し、公立中学へ転校した。B中学では最初こそ友人もでき、人間関係は比較的順調だった。祖父母の支援もあり塾へ通い始め、成績は着実に向上した。私は強い信念を持っていた。絶対に勉強で成功し、公立中学の有象無象を摩天楼から見下ろして贅沢に暮らすのだ、と。努力から逃げ、他人を蹴落とすことにしか興味のない低学歴とは決別したい。その一心で紙の上をペンで走り続けた。

しかし中学三年時のクラス替えで、小学校時代から私をいじめていた人物と再び同じクラスになった。当初は小さな嫌がらせに過ぎなかったが、次第にクラス全体を巻き込むいじめへと発展した。持ち物を隠され、暴力を振るわれ、教室で血を吐き、菌扱いされ、ゴミを食べさせられ、持ち物をキャッチボールに使われた末にゴミ箱へ捨てられた。それでも私は勉強だけは諦めなかった。塾内一位の土俵に立ち、県内私立御三家を目指せる学力を獲得した。どれほど理不尽な扱いを受けても、脳内では「所詮低学歴の哀れな叫び」と考えることで自分を保っていた。

私は偏差値70の男子校を志望した。しかし欠席日数の多さから受験資格を得ることができなかった。努力で覆せない現実がそこにはあった。結局、自称進学校へ志望校を変更し、高校数学の予習を始めた。入試直前にはクラスメイトからの暴力で腰を負傷したが、無事合格し、そのまま卒業式まで休学した。休んでいる間も高校数学を学び続けた。

私が入学したのは、難関大学への進学実績を誇るものの、実態としては典型的な自称進学校だった。塾なしで公立トップ校(浦和,春日部,川越)へ合格した友人への劣等感、父や祖父母が私へ投じた時間と100万を超える巨額な費用への負い目、自らの無力感、そうした感情が入り混じる中で受けた最初の定期試験の結果は意外にも良好だった。そして私はそこで進学したい大学を決めた。

それは人間関係に苦しむ私に勉強が唯一逆転のチャンスだと教えた父が私の幼い頃から行かせたいと言っていた旧帝国立大学の一角の大阪大学である。絶対に大阪大学へ合格する。その日から私は寝る間も惜しんで机へ向かった。

成績はうなぎ登りだった。次々と自分の下へ落ちていく同級生を見て、私は快感を覚えていた。私の努力の原動力は、他人を学力・学歴で見下すことによって得られる「学歴的エクスタシー」だった。

しかし、この価値観は極めて危険だった。成績が伸びている間は幸福だったが、少しでも停滞すると、自らの存在価値そのものが崩壊するような苦痛に襲われた。他人を蹴落とすことへの快感を追い求める時間が長くなるほど精神的負荷は指数関数的に増大し、私は日常生活に支障をきたすほどの重度の抑うつ状態へ陥った。

常に休む時間がないことは、常に居場所のない私にとって死活問題だった。勉強を止めれば自分には何も残らない気がした。学校にも家庭にも人間関係にも安息の地はなく、唯一信じた学歴すら次第に私を蝕み始めた。そして自分の心を切り替えることのできない性格も災いし、高校へ入学した後、私は一人の友人も作ることができなかった。

学校でも居場所はなかった。家庭でも居場所はなかった。どこに行っても1人だった。

そんな中でも転機があった。

私に彼女ができた。

その彼女は家庭の問題や精神的苦痛を頻繁に訴えていた。私はそれらを真剣に受け止め、少しでも力になろうとした。プレゼントを贈り、相談に乗り、自分にできることを探し続けた。しかし次第に問題は複雑化し、彼女本人だけでなく家族との対立へと発展していった。

彼女の親からは私の両親が耳を疑うほどの非常識な言葉を投げかけられ、当時の私は八方塞がりだった。

最終的に両家で話し合いの場まで設けられたが、議論は平行線を辿った。私は相手方から私のうつ病やパニック障害を理由に侮辱される場面もあり、疲弊していった。

元々は私に助けを求めて泣きついてきた彼女であったが、その絶望的な意志の弱さ故、助けようとしてる私を見捨て、揉めているはずの親の元に着いた。彼女が振り撒いた種でこんなにも自分は苦しんでいるのに、女という性別には責任感のセの字もないので、私だけ悪者扱いをされ、彼女一家の笑い話のネタにされている。

そして交際関係は断続的な別離と復縁のような状態となり、混乱は続いた。私はこの問題以外の多くの問題を抱えており、精神的に限界を迎え、日常生活に大きな支障をきたすようになった。最終的には、自ら絶縁しようと言った。(そもそも元カノ家族の間で虐待なんて無かった)

だが、問題はそれで終わらなかった。

家庭の状況は悪化し続けた。高校生活も上手くいかず、家では連日の口論が続いた。親から学費の支払いを拒否されるようになり、学校側との関係も悪化した。

私は追い詰められていた。

自殺未遂、家出、自傷行為などが続き、私の通っていた高校は遂に私を登校禁止にして、自主退学を待つような形で追い出しを図った。

争う気も失せてなくなく自主退学の道を選び、それからはタバコと酒と自傷行為に明け暮れた。

ある日、長年積み重なっていた感情が限界に達した。決め手は長年続いた母親からの暴言や夫婦仲の悪さから来る八つ当たりだった。

私のプライドを踏み躙るような数々の暴言に私の心は崩壊寸前となり、母親との激しい口論になった。感情的な衝突は物理的な争いへ発展し、その結果、毎度お馴染みの警察が介入する事態となった。

母親は昔から私のことを酷く憎んでおり、母親は私を家から追い出したくて仕方がなかった。

今回はその良い機会だったのでしょう。私は呆気なく被害届を出されて家から追い出されました。

私は警察署で十日間を過ごした後、鑑別所へ送致された。

親は断固として私の引き取りを拒否した。

この事実は、今でも人生の中で最も重い記憶の一つである。

裁判所も私の境遇を祖父母から聞いた時には私への同情で溢れ、母の願いである私の少年院への送致は免れ、児童養護施設で保護されることになった。数ヶ月の保護観察と試験観察を経て祖父母の元へ移ることになったが、その頃には母方の親族との関係は事実上断絶していた。

母と母方の親族は、私を捨てたのだ。

しかし、それでも私は母を完全には嫌いになれない。

幼い頃、家族で出かけた車の中で流れていた洋楽を聞くと、今でも涙が出ることがある。あの頃は何も知らなかった。

昔の方が幸せだったのではない。

ただ、何も知らなかっただけなのだ。

それでも時々、あの頃の記憶を思い出してしまう。人は失った居場所を、完全には忘れられないのだと思う。

そしてあれから私を捨てた母親からの1通の手紙が届いた。

それは誰かに無理矢理書かされたであろう、偽善の塊そのものであり、私に対しての侮辱のようにも感じることができた。

母親は過去に飼っていたペットのトイプードルも虐待して、最後は捨てて父方の祖父母に押し付けた。

私も結局母親が捨てた結果祖父母の家に流れ着くこととなった。母親や母方の親族は反省どころか私を侮辱するような発言を裏で何度も言っており、彼らの存在こそが私の16年の地獄の元凶である。

結局誰かを信じることも、誰かに勝つために努力することも、新しい学びを得るために誰かと交流することも、私に取っては全てが害であり、それからの私は人と関わることを避けて生活するようになった。

周りの奴らが当たり前のように過ごしている青春は私にとっては当たり前じゃない。

人と関わるたびに、身寄りや所属先のない自分が恥ずかしく思えてくる。

全く見なくなったが、たまに友人経由で届く元カノの私に対する悪口を含んだ投稿に書かれていた「貴方と違って私は充実している。ネットでしか人と関われないなんて気持ち悪い。」そんな書き込みを思い出すたびに、私の存在全てが否定されたような気がする。

またこの話に関する加藤智大さんの有名な書き込みがあります。

『ネットで出会いは気持ち悪いのだそうです。
私の全てを否定されている気分です。』

同感ですね。あの投稿を書き込む元カノさんにとっては学校に友人がいて、憎い元彼(私)を一緒に罵ってくれる家族がいて、それらが当たり前に感じているのでしょう。

今頃あの人達は私が高校から追い出され、私が母に復讐して捕まり、私が実家を追い出されて住所不定になって失敗を繰り返しているのを酒の肴にでもしているのではないかと思います。

『…別にね、このホームページを見てる人に同情してほしいわけではないんですよ。
じゃあどうして欲しいのかと言えば、謙虚さを学んでほしいですよ。謙虚さというのは、自分が恵まれたことに気が付いて、その事に感謝出来るかどうかなんですよ。
そして俺はね、環境にも才能にも恵まれなかった日本国民なんです。
だからね、大抵の日本国民は俺よりも恵まれているんですね。でも、みんな俺みたいな人間に説教したがるじゃん。
俺はね、そういうやつに言いたいんだよ。
「お前はただ、環境や才能に恵まれただけなんだよ。だからそれに感謝して慎ましく生きてろよ。」とね。…はい。そういうことです。』

これは2016年に自分で首を吊って亡くなられた前田仁さんの言葉です。

私はルサンチマン的な考えがものすごく嫌いだった人間でしたが、今になってはこの文章に賛同せざるを得ません。

結局今成功して誰かを傷つけて幸せに暮らす人間は、努力で成り上がったわけでもなく、その人を取り巻く環境の運が良かっただけなのです。

それをあたかも自分の力だと勘違いし、周りに自分の力を誇示し、死にかけの虫を踏み潰すような残虐な行いをしている人たちが到底私は許すことができません。

まあそんなの努力してから言えだの言う奴が出てきそうですが、こんな記事を書いてる私だって昔はそれなりに勉強していてそこそこの成績を収めていたことだけは書いておきましょう。プライドが強いので😅

私はこのブログは、私が自殺とかした時に自分がどんなことを考えて死んだのか分かりやすく誰かが見れるような形で残しておきたいという思いで書いております。

つまりは遺書ですね。私が死んだ時にここの記事に載った人間の責任が追及されることを心よりお待ちしております。

私は数年以内に自分の命を絶つつもりでいます。脅しじゃありません。一生恨み続けます。(すぐ終わる)

こんな恨みばかりの文を読んでくださりありがとうございます。

さようなら〜